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後漢 (五代)[こうかん]
後漢(こうかん)は、中国五代十国時代の王朝(947年〔愛宕他 (1997)、p.23〕 - 950年〔愛宕他 (1997)、pp.23-24.〕)で、五代のうちの一つの王朝である〔愛宕他 (1997)、p.3〕。建国者はテュルク系突厥沙陀族の劉知遠で、劉姓であることから国号を漢とした〔愛宕他 (1997)、pp.22-23.〕。都は開封にあった〔愛宕他 (1997)、p.24〕。 == 建国前(後晋末) == 942年5月に後晋の高祖石敬瑭が病死し、その遺志と異なる2代皇帝少帝が宰相馮道と天平軍節度使景延広によって擁立された〔愛宕他 (1997)、p.18〕。対遼強硬派の景延広が宰相と侍衛親軍馬歩軍都指揮使(中央禁軍総司令官)を兼ねて国政の実権を握り、歳幣の停止と屈辱的外交からの脱却を図ったが、これが944年に二度の遼の南侵を招き、さらには946年11月に遼の太宗による親征が開始された〔愛宕他 (1997)、pp.18-19.〕。同年12月に開封は落城し、少帝は遼に拉致され後晋は滅亡した〔愛宕他 (1997)、pp.19,22〕。遼の太宗によるこの侵攻は反遼姿勢をとる後晋の少帝政権に対する懲罰と燕雲十六州以南の華北の支配をもくろんだものであった〔。けれども遼本国の農耕社会の直接支配に対し批判的な遊牧勢力(述律太后の一派)の策動と合わせ、略奪専門の「打草穀騎」と称する部隊による華北地方での激しい略奪に対する漢民族の抵抗により947年4月には撤退を余儀なくされた〔。
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